会長挨拶

会長 樋渡 俊二
(日本製鉄株式会社)
Sustainable Development of JSTP for Contribution to Society
法人設立から60年以上の歴史を有する日本塑性加工学会では,第11期以降の会長任期は1期であったが,第59期会長は第60期に再任され,学会運営の継続性が確保された.その効果として財務は最悪の状態から脱しつつあり,急激だった会員減少のペースも鈍りつつある.敬意を表すべきこれらの改善を一過性にしないためにも,次の期もこれまでの運営を継続し,4つの目標,I. 学会活動の活性化とプレゼンス向上,II. 産学連携強化,III. 人材育成,IV. 財政基盤強化に向けた活動を堅持することが重要である.具体的には,これらの目標を達成する手段として挙げられた,産学・学学・地域の連携,研究や技術の情報発信・会員間交流の活動をいっそう強化・推進する必要がある1),2).
これらの活動は,理事会,各種の委員会,支部,分科会などの組織の下で推進されているが,会員から選ばれ,各組織の活動を担う方々の尽力に大きく依存している.特に学の正会員に負うところが大きく,例えば,第60期の理事の6割は学の正会員が務めている.上記の活動を通じて塑性加工に関する学術の進歩向上に寄与するという本学会の目的の公益性を考えると,民間企業に属する産の正会員よりも学の正会員への依存度が高まるのはやむを得ないであろう.このように学の正会員の多大なる貢献が本学会を支えているが,学の正会員は全正会員の15%足らずであり,さらに,その年齢の分布は60歳以下では若年層に向かって漸減している.すなわち,本学会が推進すべき上記の活動は必ずしも持続可能とは言い切れない.
本学会にとって重大な学の正会員の漸減の根底には塑性加工に関する学のポストの減少がある.そして,本学会に留まらず,日本の社会にとって,これは重大な課題と考える.日本の強みの源泉を振り返ったとき,塑性加工の分野の学の再興が,混迷が深まる世界の中で日本が存立し続けるために重要であることを以下に私見として述べ,本学会が優先して取り組むべき課題を示したい.
本稿執筆時点では国際紛争の先行きは見通せず,また,各国の通商措置拡大による市場の分断が加速されている.このような混迷の根源を遡ると,最後は天然資源の偏在という避けがたい現実にたどり着くと考えている.天然資源が比較的少ない地域の国々にとっては,SDGs(Sustainable Development Goals),CN(Carbon Neutrality),CE(Circular Economy)などは全世界・地球全体が共存共栄するために当然目指すべき普遍的理念である.一方,天然資源に恵まれる大国では,これらの理念が自国の強みである天然資源の価値を低下させることになる.そのため,天然資源に恵まれる大国が,それが生み出す富を土台に自国優先主義に向かうと,世界の混迷が深まると理解することも可能であろう.つまり,天然資源に翻弄されて争う世界の歴史が繰り返されているのではないだろうか.
そう考えたとき,天然資源に恵まれない日本が過去に築き上げた強みをこの機に再認識することは,本学会にとっても重要であろう.これまで日本を支えている製造業の強みが,塑性加工を含む金属加工にあるからである.
天然資源が乏しい日本は製造業の加工貿易で成長の足場を固めた.特に金属の加工に関わる製造業は今でも日本の存立を担う最も重要な産業である.素形材産業室の資料3)によると,製造業は他産業より高水準の賃金(1人当たり400万円超)で1000万人超を雇用している.その内,金属の加工に関わるのは,自動車を主とする「輸送用機械」,「はん用・生産用・業務用機械」,それらの部品を含む「金属製品」が主な部門であり,それぞれ130万人以上を雇用している特に重要な製造業であるといえる.さらに,素材の製造・輸送,製品の輸送,販売,維持・管理,廃棄・リサイクル,これらに係るエネルギーなどの多くの分野は金属の加工に関わる製造業と相互依存関係にあるため,日本全体にその影響が波及する.例えば,2020年産業連関表4)によれば,輸送機械部門の最終需要1単位の産業全体への波及効果は約2.48倍であり,日本の産業の中で最も大きい.
これらの主要な製造業のサプライチェーンには金属加工が欠かせず,その代表である塑性加工は日本の製造業の強みの源泉であると筆者は考えている.素材から最終製品へと付加価値を高める加工手段の中でも,大量生産するほど優れた効率がさらに高まって行く塑性加工は,製造業の高賃金での雇用力を担保する重要な基盤要素である.例えば,CNやCEの以前から塑性加工の量産効率が日本の製造業の優れた省エネ・省資源に寄与してきた.さらに,塑性加工分野でいうと,難加工材を用いた高機能部品の安定量産技術力が日本の強みの1つである.このことは国際比較における日本の強みを部素材とする2023年版ものづくり白書5)の分析とも符合する.筆者の知る例では,超高強度鋼製車体部品のプレス成形技術は衝突安全性と温室効果ガス削減に優れた車体を普及価格帯の自動車にまで広げることに寄与した誇るべき日本の技術である.日本の素材の優位性は比較的広く認知されているが,実際にはその強みは塑性加工技術の優位性と不可分である.
日本の優れた塑性加工とその周辺の技術を産業の強みの軸足と再認識して,これらを中長期的に維持・発展させ続けることは,日本がグローバル競争の中で1億を超える人口を安定して支え続けるための必要条件と考えている.すなわち,天然資源の偏在が一因の世界の混迷下で生き残る上で,天然資源が乏しい日本が真っ先に利用すべきは,すでに強みを発揮している金属加工の技術力である.2024年版ものづくり白書6)は,日本の主要な製造業の海外での売上比率が過半となったことを指摘している.特に,輸出以上に現地法人からの受取収益が大きい3).この収益構造を支えているのは日本国内で培った技術力であり,先に述べた日本の優れた技術の現地への移転が収益の源泉になっている.市場の分断で直接的な加工貿易が機能しない中でも,海外投資を介して,日本の強みである塑性加工の技術力が日本を支えていると考える.
このように考えると,塑性加工を学術面から牽引する本学会は日本の存立へ重要な貢献を果たしてきたといえる.日本がその強みを活かして混迷する世界で生き残るには,本学会の継続的な発展が必要である.
産と学を両輪とする本学会は,学術の進歩向上を通じて上記の産の技術力に貢献してきた.そのうちの学の正会員を取り巻く状況が先に述べた危機に直面しつつある.これを看過すると,本学会の弱体化のみならず,日本の強みの衰退を招くと懸念される.逆に,塑性加工分野の学のポスト数とその安定性を増強することが,本学会の活動の活性化を通じて産のこの分野を強化し,日本の存立基盤を維持することに繋がると考えている.
その一方で,大学が置かれた状況を見渡すと,ポストの減少が示すように,塑性加工分野の学理・研究を強化しようとする機運は希薄になっている.例えば,主要な世界大学ランキングでは米国の大学が上位を占めることが多いため,順位を改善するには米国型の大学を目指すことになる.しかしながら,産業の観点からは,天然資源を持つ米国の価値観に合わせることが日本の強みを活かした存立基盤の維持に寄与するとは考えにくい.実際,大学における塑性加工の講座や研究室が減少し続けている.現状の文部科学省の施策やそれに沿った大学の運営とは別に,塑性加工分野の学理の追求を強化する自発的なアクションが必要である.その支援が本学会の重要な役割であり,第59-60期会長が提示した学学連携であると考えている.
学学連携を起点とした好循環については過去に説苑で述べた7).その中で参考になる例としてドイツの産学連携の仕組みを紹介した.公的プロジェクトの多額の資金で多数の博士候補者を雇用し,これが産とのクローズな研究のための余力を生み出している.そして,博士を取得した研究者には共同研究の相手先だった企業への就職の道が準備されている.国の資金を学に投入することで,研究成果と人材育成・供給を通じて産が強化されて行く好循環が仕組みとして組み込まれている.ドイツは,現在,エネルギー価格高騰の形で天然資源への依存度の低さの影響を受けているが,日本よりも少ない人口でもGDPが上位になった一因として,このような分析も可能ではないだろうか.
日本の塑性加工の分野でもこのような好循環の仕組みをインストールする必要がある.官のプロジェクトの獲得による学の安定的ポストの増強が,若い人材を集めて産学連携を活性化する好循環の起点になると考えている.そのような形で日本の存立への継続的寄与を図るには,本学会が学学連携を組織的に支援し続けることが重要であろう.
Harvard’s Growth LabのCountry Complexity Rankingは産業の複雑さに着目し,輸出品の多様性と複雑性を表す指標を用いて,経済発展に必要な「生産性知識」を定量化している.そこでは日本が1995年からトップを維持し続けている注1).容易に真似できない複雑性の高い様々な部素材がけん引しているのであろう5).これにはインテグラル型ものづくりの下で蓄積された塑性加工の技術力8)も大きく寄与していると考えている.そして,その強みは産学連携を通じて学の研究に支えられてきたと理解している.先の難加工材を用いた高機能部品の安定量産技術の例では,スプリングバック予測のための材料試験・材料モデルなどの2000年代までの研究が現在の優位性の礎となっている.
日本の産の強みにおける塑性加工の重要性は必ずしも一般には認知されておらず,さらに真似されにくい複雑さの影に隠れて,学の貢献はいっそう見えにくい.しかしながら,日本の軸足とすべき強みを前述のように理解すると,好循環の起点である学の継続的な増強は将来の日本の存立を大きく左右する.塑性加工とそれを支える学理の社会的意義は,会員だけでなく,官をはじめとする他分野の人々に広くご理解いただきたい.それが日本と本学会を持続可能にすることに繋がると考える.本稿がそのための情報の一部でも紹介できていれば幸いである.
参 考 文 献
1)柳本潤:ぷらすとす,6-66(2023),285-286.
2)柳本潤:ぷらすとす,7-78(2024),329-330.
3)経済産業省製造産業局素形材産業室:素形材産業ビジョン策定委員会(第1回)資料「素形材産業を取り巻く現状と課題」,(2024).
4)総務省:令和2年(2020年)産業連関表,(2024).
5)経済産業省・厚生労働省・文部科学省:2023年版ものづくり白書,(2023).
6)経済産業省・厚生労働省・文部科学省:2024年版ものづくり白書,(2024).
7)樋渡俊二:ぷらすとす,7-84(2024),739-740.
8)藤本隆宏:能力構築競争,(2003),85-110,中公新書.